2017年04月15日

E01-09「発想こそ音楽の原点」


第9話「発想こそ音楽の原点」



 どれほどの時間、レミーは笑い転げていただろうか。ようやくレミーは、ゼーゼー言いながらも落ち着きを取り戻してきた。

 イトイは憮然とした顔でレミーに話しかけた。

「レミーさん。どうして、そんなに笑えるんですか?」

 レミーはお腹を押さえて、笑いをこらえながら、答えた。

「ククク・・・だって・・・私はずっと・・・サインを出して・・・いたのに・・・私が書いたレポートだって・・・なのに・・・ククク・・・イトイくんったら・・・全然気がついてくれないんだもん・・・。」

「それって、そんなにおかしいですか?そもそも・・・」

 レミーはイトイに手を振りながらその言葉をさえぎった。

「お願い・・・それ以上話を蒸し返さないで・・・せっかく・・・おさまって来たんだから・・・。」

 イトイは深くため息をついた。

「じゃあ、質問を変えますね。レミーさんは最初から全てをご存じだったんじゃないですか?もしそうなら、ボクがわざわざ調べるよりも、最初からレミーさんの指示でプレゼンテーションを作った方が、よっぽど早かったんじゃないですか?」

 それを聞いて、レミーもやっと我に返ったように、真面目な顔で話し始めた。

「それは違うわ。」

「どう違うんですか?」

 レミーはイトイの目をまっすぐに見て答えた。

「確かに、イトイくんの言う通り私はある程度の知識は持っているわ。だから、私が指示しながら作っていたら、すぐにプレゼンテーションを作成できたかも知れない。でも、それだと、さっきイトイくんが読んでいたレポート以上の物にはならないのよ。」

 イトイは首をかしげた。

「それはどう言う事ですか?なぜ、それではダメなんですか?」

 レミーは考えをまとめるかのように、目を閉じてうつむいた。そして、目を開けて再び顔をイトイに向けた。

「それはね、イトイくん。視点の違いなのよ。」

「視点・・・って・・・?」

「つまり、私はすでに知っていることに対して、何の疑問も持たずに、ただ説明することに目を向けた物を作ろうとすると思うの。でも、イトイくんは違う。自分の知らない事柄を、新鮮な感動を持って見つめると言う視点で考えることができると思うの。実際、調べていて楽しかったでしょう?」

 イトイも目を閉じて、今日一日の出来事を振り返るかのように、うつむいて考えた。

「そうですね・・・。」

 そう言いながらイトイは目を開けて、レミーの方に顔を向けた。

「確かに面白かったです。」

 レミーは微笑んで言った。

「でしょう?イトイくんの楽しそうな顔を私はずっと見ていたもの。それにね、私も楽しかったのよ。楽譜をX軸やY軸に見立てたり、『3つの謎』なんて発想は私にはできなかったわ。」

「そう言えば、今日は朝からずっと笑ってばかりいましたよね。」

 イトイがニヤニヤしながらそう言うと、レミーはムッとした顔でイトイをにらんだ。

「私が笑いすぎて窒息死する時は、ダイイング・メッセージで『イトイ』って書くわ。」

 二人は数秒間にらみ合うと、同時に笑い出した。

「ハハハハハ・・・それだけは勘辨してください、レミーさん。」

「アハハハハ・・・武士に二言はないわ。」

 イトイは手をたたきながら笑っている。

「ハハハ・・・誰が見ても武家の名前だとは気づきませんよ。」

「しまった!バレたか・・・。」

 そして、二人とも再び笑い出した。だが、さすがにレミーは免疫ができたらしく、今度は早く復帰した。

「ねえ、イトイくん。」

「はい?」

「もし、イトイくんが国際標準ピッチに疑問を持たなかったら、道永さんが来た時も、ただの雑談で終わっていたと思うの。あの時、イトイくんが産声について道永さんにインタビューしてくれたおかげで、国際標準ピッチが産声にほぼ近いことを確認できたし、雅楽で産声の音があることも初めて知ったわ。それはイトイくんならではの視点と、独自の発想があったからよ。」

「ボクの独自の発想・・・?」

「そう、よく考えてみて。何事にも始まりがあるわ。じゃあ、最初に音楽を始めた人たちは、どうやって始めたと思う?」

「音楽を最初に始める・・・」

 イトイは腕組みをして、うつむいて考え始めた。しばらく考えた後、イトイは右手の握り拳で、左の手のひらを叩いた。

「そうか!それが楽しいとか、面白いとか、きれいだとか、音に関して気がついたことを、独自の発想で発展させたんだ!」

 それを聞いてレミーは微笑んだ。

「そうかもね。音楽の始まりには諸説あるけれど、それが広まって行ったのは、多くの人たちが独自の発想で発展させなければならなかったはずよ。音名や階名だって、誰かの発想から生まれ、それを学んだ他の誰かが新しい発想で発展させてきたはずだわ。だから、イトイくんの発想は、私にはとっても新鮮だったし、それを元にプレゼンテーションを作れば、イトイくんが楽しいと感じた事が、子供達にも伝わるんじゃないかしら。」

「・・・なるほど・・・。だから、レミーさんはあえてボクに調査をさせたんですね。それも、先入観を与えずに・・・。それなのに、ボクは自分がムダな事をさせられたような気がして・・・すみませんでした。」

 イトイは神妙な面持ちで、レミーに頭を下げた。

「別に謝ることじゃないわ。教授がいたら、もっと上手に導いてくれたと思う。私がまだまだ未熟なだけよ。」

 レミーのその言葉を聞いて、イトイは顔を上げた。

「レミーさん・・・」

 レミーはイトイの言葉をさえぎって言った。

「さあ、資料はそろったわ。プレゼンテーションを手分けして作るわよ。大筋の流れは『3つの謎』ね。謎解きをしながら、音名と階名について、楽しく学べるように作りましょう。ただ、1つ目の謎はドイツ語が出てくると専門的過ぎてわかりにくくなるから、なぜ音に名前が必要なのかを考えるようにした方が良いと思わない?」

「そうですね。その方が楽しそうです。」

 イトイも笑顔を浮かべて答えた。

「じゃあ、始めるわよ!」

「ラージャー!」


 こうして二人は、音名と階名を楽しく学べるように、様々な工夫を凝らしながら、プレゼンテーションを作って行った。


 数時間後、レミーとイトイは完成したプレゼンテーションの最終チェックをしていた。

「どうでしょう?レミーさん。」

「うん・・・これ以上は何も無いわね。このままクラウド・サーバーにアップロードしましょう。」

 そう言って、レミーはプレゼンテーションのファイルをクラウドにアップロードした。

「よし、アップロード完了。次は教授にメールでお知らせするわね。」

 レミーはメールソフトを立ち上げ、宛先に教授のメアドを入力し、件名欄に『研究室よりお知らせ』と入力した。

「さてと、『ご依頼のファイルをクラウドにアップロードしたので、ご確認をお願いします。』・・・と。じゃあ、送信!」

 メールソフトの送信を示す効果音が鳴った。

「後は、教授の評価を待つだけよ。私たちも最善を尽くしたけど、いくつか部分修正を指示される事は覚悟しておきましょう。でも、イトイくんのエフェクト処理は、かなり印象が良いと思うわ。」

 イトイが照れ笑いをしながら言った。

「いや、結構オーソドックスなエフェクトしか使っていませんから、それほどでもないと思いますよ。それよりも、レミーさんのBGMがすごかったです。だって、『ここに音楽を入れようか』と言ったかと思ったら、さらっとキーボードで演奏して、あっという間に音楽を作っちゃうんですから。」

「あら、私もオーソドックスなクラシックを演奏しただけだから、それほどでもないざますわ。オーホッホッホ・・・。」

 レミーは口に右手の甲を当てて、おどけて見せた。イトイはそれを見て笑い出した。

 その後しばしの間、二人はお互いに、映像処理に使ったエフェクトや、BGMに使った曲について、情報交換をするように話し合っていた。すると、レミーのパソコンから新着メールの着信音が鳴った。

「おや、ずいぶん早かったわね。教授からよ。」

 そう言って、レミーは届いたメールを開いて、そのまま画面を凍り付いたようにじっと見つめていた。

「教授は・・・なんて・・・?」

 イトイが恐る恐る尋ねた。


「Excellent!」


「・・・え?たったそれだけ?」

 イトイはいかにも拍子抜けしたような顔をしている。

「驚いたでしょう?実は私も驚いているの・・・。これはね・・・最上級の評価なのよ・・・。」

「さ・・・最上級・・・?」

 イトイはいまいち状況を把握しかねていた。しかし、レミーはイスから立ち上がって、ガッツポーズをしながら、子供がはしゃぐかのように喜びを爆発させていた。

「やった!やった!Excellent!」

「あ・・・あのー・・・レミーさん・・・?」

 イトイにはなぜレミーがこれほど喜んでいるのか、全く理解が出来ないようだった。レミーは満面の笑みを浮かべながらイトイを見た。

「なに?イトイくん!・・・あ、そうか・・・。」

 レミーはイトイを置き去りにして、自分だけはしゃいでいる事に気づいた。そして、咳払いをしながら、平静を装って、静かに自分のイスに座った。

「あのね、イトイくん。」

「はい。」

「教授の評価には5段階あって、『NG』、『合格』、『Good』、『Very Good』、そして『Excellent』となっているの。道永さんやその他の学生達は、合格はもちろんだけど、その上の『Good』を目指してがんばっているのよ。学生達にとって『Good』をもらうのは、オリンピックの金メダルみたいなものなの。」

「え?じゃあその上の評価は・・・?」

「学生のレベルではまずもらえないわね。もらえるのは何年かに一度、天才と言うか・・・研究オタクみたいな、すごい人だけなの。私も、過去に『Very good』をもらった先輩がいたらしいと言う噂を聞いた事しかないわ。」

「・・・まるで都市伝説ですね・・・。」

 イトイが不思議そうな顔で言った。

「アハハ・・・確かに。でもね、イトイくん。私たち研究者は『Very good』が当たり前なのよ。もし『Good』だったら、教授から厳しい指導が入って、ほとんどやり直しよ。『Very good』でも、教授が細かいところに少し手を加えるのよ。」

「じゃ・・・じゃあ『Excellent』は・・・」

「このまま手を加える必要が無いほど、完成度が高いと言う事よ。」

 それを聞いてイトイがイスから飛び上がった。

「えーっ!それって・・・それって・・・すごい事です!」

 イトイは喜びのあまりガッツポーズをしたり、バンザイをしたりしている。レミーはその姿を見て笑っている。

「アハハ・・・なんか・・・同じ事を喜んでいるのに、すごい時間差ね。」

 イトイが声を弾ませながら、レミーに尋ねた。

「レミーさんは、これまで何回『Excellent』をいただいたんですか?」

 レミーが思わせぶりに微笑んでいると、イトイは当てずっぽで述べた。

「3回・・・いや・・・これで4回目ぐらいですか?」

 レミーは一度目を閉じてから、ゆっくりと目を開けて、イトイの顔を見つめて述べた。

「実はね・・・これが初めてなの!」

「えーっ!じゃあ『初Excellent』だったんですか!」

「そうなのー!」

 そう言いながら、レミーは再び立ち上がり、イトイと一緒に万歳三唱をした。レミーもイトイも満足そうな笑みを浮かべて、その後、それぞれ自分のイスに座った。

 二人はそれぞれ、自分たちの仕事が高く評価された喜びを、しばしの間、かみしめていた。そして、レミーがしみじみと述べた。

「前に教授が言っていた通りだわ。」

「え?教授は何をおっしゃったんですか?」

「イトイくんがこの研究室に入ることで、既成概念にとらわれない、新たな発想で、新しい何かが見つかるかも知れないと、教授は言っていたの。まさに、その通りの事が起きたわ。我が父ながら、教授の先見の明には脱帽だわ。私もまだまだね・・・。」

「いえ・・・そんなこと・・・」

 イトイは何かを言わなければと思ったが、言葉が出てこなかった。否定しても、肯定しても、自分が偉そうに思えた。
 しかし、ある言葉を思いついた。

「・・・化学反応。」

「え・・・?」

 レミーが顔を上げてイトイを見た。

「これは、レミーさんの知識や経験と、ボクの音楽的無知とオタクの経験値が化学反応を起こしたんです。きっと、そうです!」

 レミーはキョトンとしている。レミーの顔を見て、イトイは自分が的外れな事を述べたと悟り、恥ずかしくなった。

「ボクは何を言っているんだろう・・・。すみません。」

 レミーはイトイを慰めるように言った。

「・・・化学反応かどうかはわからないけど、私たちはお互いを補い合って、良い仕事をしたのは間違いないわ。本来は祝杯と行きたいところだけど・・・どうかしら、この後、学食でコーヒーを飲まない?なんだか、道永さんの話を聞いてから、無性に学食のコーヒーをまた飲みたくなって、うずうずしていたの。」

「あ、ボクもです。学生達にそんなに評判が良いのなら、今日は学食のコーヒーを飲んで帰りたいと思っていました。」

「フフフ・・・同じ事を考えながら仕事をしていたのね、私たち。どうやら、化学反応じゃなくて、コーヒーオタクの結束力が勝因かも知れないわね。」

「ハハハ・・・なるほど。確かにその方が理にかなっていますね。じゃあ、片付けて早速行きましょう。」

「あ、ちょっと待って!」

 そう言うと、レミーはイトイのデスクにあるボールペンと付箋紙を取って、何かを書き始めた。書き終えると、付箋紙をはがして、イトイに手渡し、ボールペンと付箋紙を元に戻した。

「これは・・・?」

「例のクマヒゲ店長のお店の連絡先よ。」

「あ、ありがとうございます。・・・あの・・・この『季節のブレンド』と言うのは・・・?」

「それが一番お求め易い価格の商品よ。それを最初に注文してみると良いわ。すると、お店のパンフレットと一緒に豆が送られてくるから。」

「ああ、なるほど。わざわざ『季節の』と名付けているからには、その季節に合わせた独自のブレンドと言う事ですね。ブレンドを飲めば、店長の実力もわかるし。」

「その通り!さすがね、マイスター。」

 そう言って、レミーがウインクをした。

「ハハハ・・・マイスターはよしてください。あ、そうだ!前から気になっていたんですけど、一つ聞いてもいいですか?」

「早く学食に行きたいから、手短にね。」

「学食があるのに、なぜここには自炊できるほどの設備があるんですか?ボクが卒業した大学の研究室でも、こんなに色々な物はそろっていませんでした。」

「ああ、それはね、私がそうしたのよ。」

「え?レミーさんが・・・?」

「そう。そもそもはね、徹夜で何かをする時のために、インスタントコーヒーやカップ麺のお湯を沸かすための電気ポットしか無かったのよ。それでも、先輩達がいた時は良かったけど、一人になっちゃったら、なんだかそれだけじゃわびしくて・・・。それで、どうせなら美味しい物を食べたり、好きな物を飲んだりしたいと思ってね。それに、料理をすると気分転換にもなるし、それであれこれ持ち込んでいるうちに、気がつくとこうなっていたわけ。おかげで、昼食もおおむね自分で作るようになっちゃったのよ。」

「ははぁ・・・なるほど・・・。これでようやくわかりました。」

「何が?」

「教授がレミーさんの事を『女将』と言った理由ですよ。」

 レミーは怪訝な顔でイトイを見つめた。

「どう言うこと?」

「お客さんに美味しい物を出すために、決して妥協しない、老舗料亭の女将さんのように、強いこだわりを持ってこの研究室で、がんばっていると言う事じゃないですか?」

 それを聞いてレミーは笑い出した。

「アハハ・・・やめてよ・・・私はここで食の研究をしているわけじゃないわ・・・。うーん・・・、でも、当たらずとも遠からじかも・・・?」

 イトイも笑いながら言った。

「ヘヘヘ・・・やっぱり!」

「じゃあ、私が女将ならイトイくんはさしずめ『板長』かしら?」

「板長?まさか・・・まだまだ見習いですから。」

 二人は顔を見合わせて笑い出した。そして、パソコンを終了させ、使用した古い資料などを、丁寧に元の場所へ戻した。

「さて、片付けは終わったわね。行くわよ、板さん。」

「へい。女将さん。」

 レミーとイトイは笑いながら、部屋の照明を消し、ドアに鍵をかけて出て行った。二人の笑いながら話す声とともに、靴音が次第に遠ざかって行った。


 誰もいなくなった研究室に、再び静寂が戻った。窓の外には、夕日に染められた美しい木立が見える。
 それらはまるで、レミーとイトイの今日一日の成果を祝福しているかのように輝いていた。



エピソード01「音名と階名」
おわり



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posted by isoeセンセ at 21:49| エピソード01【音名と階名】